起源と歴史

起源と歴史

由緒

尾張徳川家の祈願所として、歴代藩主とそれに連なる人々と深い縁を結んできた興正寺。その関係は、開山天瑞圓照和尚が八事の地に草庵を結んだことに始まります。

長い修行の旅のすえ、高野山に至り、弘法大師の五鈷杵を授かった天瑞和尚は1686年(貞享3年)、穏やかな起伏に松が茂り、豊かな水、静寂に満ちた八事の地に密教と戒律の寺の建立を発願しました。真言密教の教学・修行道場として、境内は西山普門院東山遍照院に分かれ、東山は女人禁制の修行の場でした。
尾張徳川家二代藩主光友公は天瑞和尚に、六代藩主継友公と七代藩主宗春公は五世の諦忍妙龍和尚にそれぞれ帰依をされ、諸堂建立や多くの宝物のご寄進など力を注がれました。

時が流れ、現在、国の重要文化財に指定されている五重塔建立は、「藩主の寺」から「民衆に開かれた寺」へと変化をとげる契機ともなり、今なお、多くの参拝者をお迎えしています。

鑑真和尚の竺布(二拾五条御袈裟)
鑑真和尚の竺布で、開山 天瑞圓照和尚が授かったと伝えられる。(二拾五条御袈裟)

約300年前

1686(貞享3年)開山 天瑞圓照和尚が八事の地に草庵を結ぶ
天瑞圓照和尚直筆「当山由緒」
天瑞圓照和尚直筆「当山由緒」
所蔵 八事山興正寺
1688(貞享5年)尾張徳川家二代藩主光友公の帰依をうけ、本山をもたない無本寺とし、真言律の教学と修行の場として諸堂建立が許可される
1688(元禄元年)八事山遍照院興正律寺の寺号を賜る
1689(元禄2年)東山諸堂の建立
1691(元禄4年)東山表門、裏門の建立
覚[病気平癒祈願仰付けられしこと]
覚[病気平癒祈願仰付けられしこと]
所蔵 八事山興正寺
元禄3年、光友公が大病を患いなかなか癒えないことから、天瑞和尚が同年5月21日に病気平癒の祈祷を行ったところ、健康を回復されたという記録がのこります。
境内殺生禁断御制札(表門)
境内殺生禁断御制札(表門)
所蔵 八事山興正寺
制札とは狼藉行為を禁じ、安全を保障する内容のものが大半で、尾張藩がこれを建立したことで境内地を安堵する後ろ盾として、暗黙のうちに助力を得ていることが分かります。
1697(元禄10年)総本尊の大日如来の開眼法要を行う
銅造大日如来坐像
銅造大日如来坐像
所蔵 八事山興正寺
興正寺の総本尊である大日如来像を造像するにあたり造られた試し像です。
1717(享保2年)尾張徳川家六代藩主継友公により能満堂を建立
尾張徳川家の祈願所(祈願修法所)となり、虚空蔵菩薩(秘仏)が祀られる
継友公祈願文
継友公祈願文
所蔵 八事山興正寺
1742(寛保2年)阿弥陀堂(現 西山本堂)の建立
1763(宝暦13年)尾張徳川家七代藩主宗春公が興正寺に参詣
宗春公筆「八事山号」
所蔵 八事山興正寺

約200年前

1808(文化5年)五重塔建立、五重宝塔大供養を行う
四仏(秘仏)
四仏(秘仏)
興正寺の五重塔は、塔そのものを本尊と見たて、中心柱に大日如来を配し、その四方に四仏(秘仏)が安置されています。
五重塔建立一銭講受納牒
五重塔建立一銭講受納牒
所蔵 八事山興正寺
毎月寄進が続けられていることもわかり、五重塔が市井の人々の喜捨により建立されたことがわかります。
所蔵 八事山興正寺
1818(文政元年)開山 天瑞圓照和尚百回遠忌
開帳の記録
1818年(文政元年)に開山 天瑞圓照和尚の百回忌を記念して行われた開帳の記録。女人の参詣も許され、付近は多くの人々で賑わいました。
出典 猿猴庵の本『絵本音聞山』
所蔵 名古屋市博物館
猿猴庵の本『絵本音聞山』
出典 猿猴庵の本『絵本音聞山』
所蔵 名古屋市博物館
1857(安政4年)観音堂、地蔵菩薩堂、三十三観音堂建立
六地蔵堂、七観音堂完成
1982(昭和57年)興正寺五重塔、国の重要文化財指定
八事山遍照院興正寺境内全図
八事山遍照院興正寺境内全図
所蔵 八事山興正寺
この境内全図は1894年に興正寺第14世により監修された境内図で、五重塔を含めた境内が詳細に記されている他、興正寺の濫觴についても記されている。
2018(平成30年)開山 天瑞圓照和尚三百回遠忌

開山 天瑞圓照和尚

興正寺開山天瑞圓照和尚は、摂津国西成郡難波、伊勢藤堂家の末裔野田家の生まれで武蔵国長慶寺で出家しました。修行の中で一人の律僧に出会い、その姿に深く感銘を受けて戒律を修めることを志しました。
神鳳寺で戒律を学んだ後、高野山 圓通律寺(眞別処)に移り、学びを進めた天瑞和尚は真言律宗の寺院建立を志し、それに相応しい土地を求めて八事の地に辿り着き、ここに草庵を結びました。山中で修業する中、光明の中に大日如来とまみえた天瑞和尚は、その尊い出会いにあらためて八事の地に真言律宗の寺院建立を決意しました。

藩内の山中で修業している高僧の元に人々が集っているとの噂を耳にした尾張徳川家二代藩主光友公は、天瑞和尚を城にお召しになり2年間客僧として名古屋城に滞在することを求め、説法や講義を受ける中で帰依するに至りました。
そして天瑞和尚が願った真言律宗寺院の建立が許可され、「八事山遍照院興正律寺」の寺号を賜り、1688年(元禄元年)、現在の地に興正寺は創建されました。

1707年(宝永4年)天瑞和尚は弟子の忍海に住職を譲り、西山に隠居しました。多くの弟子を持った天瑞和尚は隠居後も多忙であったようで、彫仏の依頼を受けるなどしています。六十六歳で遷化するまでの法臘三十八年の間に、多くの弟子をもち、遠方から授戒を願い、訪れる人が後を絶たぬほど慕われ、後継となった弟子たちは、その法灯を今に伝えています。

別格本山と法類

高野山真言宗の総本山は、世界遺産登録されている高野山の金剛峯寺です。
宗派内で本山に準じた待遇を受ける、特別な格式をもつ寺院として、八事山興正寺は「別格本山」格を有しています。
※令和2年6月現在

興正寺の法類

古くから寺院は、同宗門・宗派で相互に扶助する関係を築き、運営を行っています。
その相互関係にある僧侶あるいは寺院は「法類」と呼ばれ、主要な法会などに出仕しお勤めを行うなど、現在でも、その関係は受け継がれています。

松山寺(一宮市萩原町)・安樂寺(海部郡蟹江町)・東界寺(名古屋市東区)・福寿院(名古屋市熱田区)・醫王寺(名古屋市千種区)・不動院(名 古屋市熱田区)・安養院(知多郡美浜町)・堪忍寺(名古屋市昭和区)・長福寺(あま市金岩枝村)・観音寺(あま市七宝町)・大智院(知多市南 粕谷本町)・阿弥陀寺(稲沢市北麻績町)・養壽院(名古屋市東区)・林昌院(春日井市田楽町)・龍福寺(名古屋市昭和区)・泉蔵院(知多郡南 知多町)・辨天寺(あま市坂牧)・弘盛寺(津島市越津町)・薬師寺(清須市春日)・神宮寺(名古屋市昭和区)
※令和2年5月現在(順不同)

地域の中の興正寺

江戸時代の建立より、真言密教の教学・修行道場、また「尾張高野」として真言宗の名刹として知られていました。
当時は女人禁制の寺院も多く、西山を女人以外の民衆も参拝可能な場としていた興正寺は多くの参拝者で賑わい、泊りがけの参拝者も多く、門前には宿屋もあったと云います。
八事周辺は音聞山などを含めた景勝地でもあり、寺社への参詣と遊山を兼ねた行楽には格好の地であったと云われています。

これからの興正寺

三百余年もの間、皆様に親しまれる興正寺は、先人が遺し受け継いだ大切な預かりものとして、謙虚に自然のやさしさを受け止め自分も報いる、そんな心の豊かさと深さを感じる場所でありたいと願っております。

これからの興正寺

八事山興正寺 住職挨拶

八事山興正寺が開かれたのは、今から三百有余年も前、江戸時代の初期であります。五重塔が建てられたのは江戸中期の頃で現在は国の重要文化財に指定されています。爾来、名古屋の人々の心の拠り所として多くの信仰を集め今日に至っていることは皆さんご承知の通りであります。
お一人お一人の想い出の中に残されているように穏やかで心温まる場所、それがお寺なのでしょう。

私は、お寺には様々の空間があると考えています。
それは、霊域として神秘を感じ受け止められる空間であり、先祖との繋がりを感じられる空間であり、ほっと一息つける安らぎと温もりを感じられる空間であります。さらに地域の歴史・文化の発信と学びの場であり、人々との出会いの場所でもあるのです。
高度に発達した現代文明は、確かに利便性と物の豊かさをもたらしてくれましたが、反面現代社会は多くの困難な課題を抱え込んでもいます。それは多く心の問題であり、目に見えない社会の深層に潜む尽きない欲望の問題であるともいえましょう。日本人が大切にしてきた簡素と簡潔の中に美を見出すスモールな生活観、慎ましさと合理性をバランスよく表現するシンプルな美意識、そして天地自然に対する畏敬の念を忘れないスローでスピリチュアルな感謝の心など、古人が残してくれた心の文化性がいまとても必要とされているのではないでしょうか。

「お寺のある暮らし」は、現代人と現代社会が抱えるさまざまな課題に一筋の光明をもたらしてくれることでしょう。興正寺はそのようなお寺でありたいと願っています。

八事山興正寺
住職 西部法照

高野山大学文学部卒業
慶應義塾大学文学部卒業、修士(国際文化・岐阜聖徳学園大学)

1968年
高野山真言宗法福寺住職に就任、
1973年
財団法人方丈文庫を設立し、地域の文化・社会教育活動を推進 高野山金剛講濃飛地方本部総監、高野山真言宗岐阜宗務支所長等を経て1998年より渡米、高野山真言宗北米開教区シアトル高野山仏教会主任開教師に就任
2005年
アメリカ ワシントン州レドモンド市郊外に「シアトル神護寺」を開山 (502 Redmond Fall City Rd SE Redmond WA 98053 USA)
2013年
高野山真言宗国際布教師並びにシアトル神護寺住職を退任、帰国
2018年9月
八事山興正寺住職に就任

著書

『山寺閑話』文芸社・『ほのぼのと暮らしたい』イデア出版局 など